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It all began in 2005 with one man and a dream.

 

 

初めて鈴鹿ワールドカップを見に行った。

ヨーロッパの選手が金網の向こうで輝いていた。

外国人選手ばかりでかっこいいな。

草レース参戦開始!

ファンタジスタ

一年後鈴鹿にたどり着く。

ファンタジスタ

100キロで転がりコース内救急搬送

こりるどころか地方選手権参戦

全戦予選落ち

ファンタジスタ

ムカついて練習の鬼に。

いきなり開幕優勝

エンジンブローしたり

タイヤ取れたり

ファンタジスタ

ステップアップし

また鈴鹿にたどり着く。

雨のタイムアタックでリアタイヤが

はずれるか?普通

ウェット路面を木の葉のように回転しながら

いつものグラベルへ。

予餞後方から

20数台抜いて鈴鹿初表彰台

ファンタジスタ

翌年

全日本選手権にたどり着いた。

初戦路面に負けて手首靭帯

休戦

ムカついて

ドカッティ400SS買う。

ファンタジスタ

3年目いよいよ鈴鹿全日本にたどりつく。

一位争い中なぜかハンドルコラムボルトが折れる。

最高速のままグラベルへ直行。

土煙とお友達

ムカついて

コース内でヘルメット脱いで

これみよがしに

鈴鹿の地面に叩きつける

人類史上最初で最後の暴挙

ファンタジスタ

チームに叱られるが

黙れクソメカニック!

ファンタジスタ

全日本選手権に何年か出た。

鈴鹿ワールドカップに2回出た。

2005年冬のこと

マン島TTなど取材していた友人のカメラマンが鈴鹿で言った。

「向こうのレースは違うぞ」

「アツいレース、パーティ、メシ、女」

「お前はヨーロッパ向き」

「そうか、じゃあ、向こうで一緒にメシ食おう」

その日12月最終の鈴鹿

大雪でレース中止

南コースの金網をよじ登って

不法侵入

西ストレートの下のトンネルをくぐり

ヘアピンへ

外周を歩いて

カシオトライアングルへ。

コースが一面雪に覆われた銀世界

音がない。

朝の陽光に舞う雪の粉

キラキラ輝いていたのは

加藤大治郎選手

写真、メッセージ、花

 「オレヨーロッパ行っていいかな?」

「 ^  ^ 」

 

2006年

遥かなる地ヨーロッパへ

フランスで激突され救急車に乗り

イタリアで肋骨を折りながら入賞

オーストリアで肋骨ファステスト

最終戦ベルギー

「フランスの世界選手権取材が終わったらそっち行くわ」

肋骨は六ヶ所に増量中

ボルタレン飲みすぎ

土曜のチェッカー後リタイアを決意した。

やつがインフィールドでこっち向かってゆっくり拍手していた。

カメラのファインダーからはバレていた。

決勝を走った。

レース後のパーティで一緒にメシを食った。

約束を果たした。

 

それからのお話はお会いしたときにでも・・・

“Chi trova un amico trova un tesoro.” 

友に巡り会えた人は宝を手に入れたのと同じである。

 -   Italian proverb  -

 

シェフの略歴

滝山純平 1968年製 O型

同志社大学文学部英文学科卒

IQ160以上測定不能

猫型夜行性人間

趣味:

映画鑑賞・読書

特技:

英語

機材スポーツ

二輪・四輪の運転

カメラ

乗り物歴:

ジュニアサイクル数台

ロードレーサー

Honda NS 50

Volkswagen Type 1 Callook

Porsche 911 1970

日産ホーミー
ホンダステップワゴン

Ducati 400 SS

スバルレガシー

ホンダステップワゴン

スバルB4 Sti

スポーツ歴:

水泳

剣道

ヨット(ディンギー、

デヘラー36、キャバリエ40)

ウィンドサーフィン

アイスホッケー(国体・インカレ)

レーシングカート(全日本・

アジアパシフィック・ヨーロッパ)

ロードバイク・MTB・シクロクロス

(ツールドおきなわなど)

職歴:

20歳の頃から5年、

京都木屋町のバーで働く。

25歳で予備校講師、数年で大手へ。

雑誌連載、問題集出版

テレビ出演などメジャーの道へ。

中央より地方を選び大手を自主退職。

漁港に住んで田舎の塾で働く。

外洋ヨットで数年生活し仕事する。

朝ウインドして夕方から塾へ。

夜中外洋ヨットで出て朝から塾へ。
ハーバーから車で僻地の塾へ。

このときハーバーで見たトラ

アテネ選考レースに目が覚める。

社長となり辣腕を振るう。

教育コンサルをする。

僻地の学校へ先生を派遣

国際ライセンスを取得

カートでヨーロッパを転戦する。

一年目イタリア系

2年目ベルギーのチーム

日本のレースに1年出場引退

 

陸に上がり千坪の土地にベース構築

ヨーロッパ行きを勧めた親友であった

ジャーナリストが突然腎不全に。

彼はここをホスピスに選んだ。

短時間でカメラを伝授。

「君を弟子に任命する」

との手紙とともにメディアパス

が送られてくる。

ワールドカップにメディアとして帯同。

梅雨の頃山へ自転車で登ったときに

死にかけの猫を拾う。

下半身麻痺

それから延々猫との生活が始まる。

それから少したったある夜

ローソクを灯し、

彼、母、俺の三人でパスタを作り

赤ワインで最後の晩餐をする。

「お前、この場所は10年後に

とてつもないことになるぞ!」

彼は千の風となった。

 


ここで英語の塾・家庭教師

生徒を大学へ送る。

ロードで家庭教師請負

往復100キロまで。

飛行機・新幹線通勤より面白くハマる。

病気の母が最後にドッグラン

ドッグランが盛況となる。

母の病気が奇跡的に治る。

モータースポーツでヨーロッパ

行かせるのは無理

自転車に切り替える。

自転車環境を構築する。

息子に自転車を教える。

ピザで栄養学の勉強

息子がベルギーのチームへ。

指導理論が自転車界で噂になり

選手・指導者たちがやってくるように。

ビワイチサイクリストも遠くから訪問。

ピザのことを教えてほしいと

弟子志願者が続出

通ってくる方がお手伝いしてくれ。

友達がピザ屋始めたら面白い。

友達の家に遊びに行く感覚で

遠隔地から来てくださると喜ぶ。

結局は人生一度きりの博打

「やらないで後悔するより

やって後悔したほうがマシ」

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